パイレーツの3人衆といえば・・・・・

なんだけれども、私は、とうとうメインの3人への興味を失ってしまった。
ジャック・スパロウはともかく、後の2人は正直どうでもよくなった(ダメですか?)。
今回の格闘しながらの愛の告白劇に鼻白む自分に気づき、そう確信に至る。
ゆえに、その部分が核となる今作は、ちと拷問に近かった。わたしゃディヴィ・ジョーンズとダルマの大人の悲恋の方がもっと見たかったぞ。
前作のバルボッサの登場に胸が震えたけど、今回はなんかキャラ変わってるし。
というわけで、私にとってのパイレーツ主要キャラの3人はこちら ↓

左からブーツストラップのビル、ベケット卿、デイヴィ・ジョーンズ。
全員2作目からのご登場。この内、二人のお方は、ほとんど原形をとどめず、はっきり言えば気色悪い。登場時はかなり引いたが、見慣れると可愛いものだ。
“ブーツストラップ(靴ひも)のビル”、ビル・ターナーこと
ステラン・スカルスゲールド (Stellan Skarsgård)

「奇跡の海」を観て以来、彼のことを”ヤン”とお慕い申し上げているステラン様。
今回は大砲の弾に靴ひもを括り付けられて海に沈められたウィルのオトン。
膝の皿ならぬ都市伝説を地で行くフジツボ顔に、時々ゴキちゃんのようなフナムシが這う。存在そのものがPG-12クラス。小さい子供は見てはいけない。
前作で最初に登場した時、さすがのジャック・スパロウも引いていたが、私も引いた。たとえ愛しのヤンでも。しかし、ブーツストラップのビルの憂い顔は彼ならでは。
ある時は冴えないオヤジにエロオヤジ、普通のオヤジに超イケてるオヤジと、いろんな顔を持つ。彼のファンには垂涎モノの公式サイトはこちら ↓
http://www.stellanonline.com/index.html彼の子供たちも活躍中 ↓
ベケット卿こと
トム・ホランダー (Tom Hollander)

最期に「エリザベス・・・」とつぶやいていたような(?)気がするが、ベケット卿は彼女を密かに想っていたのだろうか。前作「デッドマンズ・チェスト」でキーラが色仕掛けで挑発したとき、バケット卿もまんざらではない風だったような。だとすりゃまるで、「プライドと偏見」Mr.コリンズのようなエリザベス@キーラへのご御執心だこと。
その時の鑑賞記事で、二人が対峙したときの身長差が「プライドと偏見」時と違うと書きましたが(→ 「
デッドマンズ・チェスト」VS「プライドと偏見」)、今回は二人のツーショットは叶わず。残念。
それにしても、ジャックにウィル、元婚約者のジェームズ・ノリントン、バケット卿だけじゃなくサオ・フェン(チョウ・ユンファ)までも虜にしてしまうエリザベスって・・・・。
ディヴィ・ジョーンズこと
ビル・ナイ (Bill Nighy)

タコの着ぐるみのときは目だけでしっかりとビル・ナイを主張していたのに、素顔が出たときは、別人かと思った。哀愁を帯びた目はそれらしいが、若返って見える。
悪役顔なのに、「ナイロビの蜂」のような直球ど真ん中の役よりも、「シャンプー台のむこうに」「ラブ・アクチュアリー」「スティル・クレイジー」の捻くれた役多し。
普段から茶目っ気たっぷりのビル・ナイの延長線上のような。
過去のビルナイ記事ディヴィ・ジョーンズがあんな方法で陸に上がられるなら、ウィルだって陸生活ができるじゃん、不便を強いられるけれど。
生活は難しくても、時々の逢瀬の手段に使える。(10年は待てん)
ま、私だったら嬉々としてヤンとの船路を選ぶけどね。
そして今回は、サービスカットならぬ、二人のビルの素顔もちょこっと登場。
しかし、タコ姿の方が断然ビル・ナイっぽいのはナゼだろう・・・。

あとは、マートッグとムルロイが好き。ラストがああなると、次回はラゲッティとピンテルと被らないか?マヌケコンビは同グループに二人はクドイ。また寝返るのか。
それにしても、バットマンの渡辺謙とかぶってないか?
と、公開前から映画館に貼られていた特大ポスターを見るたびに思っていた。

スキンヘッドに長ヒゲという見た目もさることながら、鑑賞後はその立ち位置も似ていたと認めざるを得ない。バットマンの渡辺謙の方がマシだったけど、バットマンでガッカリした日本人以上に、がっかりした中国人が多かったことだろう(というか怒ってるかも)。
・・・と思っていたら、想像以上の怒りを買って(笑)、中国ではチョウ・ユンファのシーンが大幅にカットされたそうだ。サオ・フェンはシンガポールの海賊だけど、明らかに華僑だし。怒りを買った理由が、○ゲ・顔の傷・長いあごひげ・長い爪という長年ハリウッドが描いてきた典型的な中国人像にあるらしい。
じゃあ、同じようなキャラ演じさせられた渡辺謙はどうなる・・・。
逆に、怒りを買わなかったシーンがどこなのか知りたい(笑)。全編通してユンファは○ゲ&ヒゲだったけど?扱われ方こそ抗議の対象になりそうなものだが、まさか、最期のシーンもカットされてるなんてことは・・・・・(で、いつの間にか消えているサオ・フェン、エリザベスがなぜか後釜に座っていて、「???」みたいな)

とはいっても、彼に限らず、その他の“伝説の海賊”の皆々様方も、特に何かしたわけでもなくかったが。一番インパクトがあったマダム・チンも、見た目以上の存在意義は無かった。
って、彼女はカットしなくていいのか?
評決を取るためだけの数合わせ的な6名の海賊たち。もっと彼らの活躍の場があれば、映画にカタルシスがあったものを。
前回は大ダコ(クラーケン)、今回はカニの大漁に巨人。クラーケンの成れの果ては、予算との兼ね合いか。クラーケンVSダルマ(カリプソン)の闘いを見たかった。
それにしても、砂浜に現れる石化けカニ、分身と対話するジャック、デビッド・リンチ的(またはウンパルンパ的)ミニジャック、3作目のテーマはシュールで不条理な世界なのか。
2は笑えたのに、3は笑えなかった。2作の違いが何なのか、自分でも分からない。
長い上映時間以上に体感時間が長く、エンドクレジットがこれまた拷問のように長くて、恒例のお宝映像が恨めしい。普段はエンドロールの最後まで見るけど、強制居残りを命じられたようで反抗心が沸々、見ろと言われると見たくなくなる天邪鬼。もうYouTubeでいっか、と(笑)。
今回はオチ程度ではなく、今3部作のシメとさらなる3部作への橋渡し、続編の予告のようなもので、配給会社が必死に「席を立たないで」と告知したのもうなずける。それでも知らないで帰ってしまった善良な市民が浮かばれない。個人的にはこれまでのおまけ映像の方が好き。
前回のおまけ映像といえば・・・
1話から出ずっぱりの、本家ディズニーランドにもいる鍵を咥えたワンコもご健在。

生贄から脱出できたらしい(笑)
- 2007/05/30(水)
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『官僚とメディア』 魚住 昭
『月に響く笛耐震偽装 完全版』 藤田 東吾
『タイタンの妖女』 カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
『ティファニーで子育てを』 エマ・マクローリン ニコラ・クラウス 小林 令子
『クワイエットルームにようこそ』 松尾 スズキ
『陰謀の世界史』 海野 弘
『アートの仕事』 会田 誠 池松 江美 (辛酸なめ子) 小谷 元彦
『ひかりのあるところへ―小林孝亘作品集』 小林 孝亘
『インテリアに映える 景色盆栽』 小林 健二
『I LOVEマカロン』 荻田 尚子

- 2007/05/28(月)
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近所のスーパーで、「ロッキーのテーマ」がよくかかっている。
この曲は、ボクサーには闘志を、一般市民には購買意欲を駆り立てる。
これが流れた日は、意気盛んにカートを転がし、いつもの2割り増し購入してしまう。まさにスーパーの思う壺である。これには、スーパーの従業員の労働意欲を盛り立てるというオーナーの策略も見え隠れするが、私は裏の精肉場で肉塊を打つ店員さんの姿を想像し、一人でにやけている。
そんな、世界中の人々のやる気をパブロフの犬の如く突如として奮い立たせるロッキーのテーマ(Gonna Fly Now)を、一度は劇場の大音量で聞いてみたい・・・!という念願が、「ロッキー・ザ・ファイナル」でようやく叶ったのである。

スタローン脚本で、そのスタローン自身の手で抹殺されてしまった妻のエイドリアン(女性特有の癌で他界)。妻の命日に、思い出の場所巡りをするロッキー。ペットショップ、スケート場、家・・・同行する義兄ポーリーがうんざりするくらい、確かに長い。この回顧シーンのために妻の存在を抹消したとしか思えない(笑)
息子ロバートは今では証券会社に勤務しているが、うだつが上がらず、偉大な父親の陰にいることに卑屈になっている。(そういう時期はもう過ぎてると思うのだが)
そんな彼が、父のロッキーの
無謀な果敢な挑戦を見て、最後には自分の道を歩む・・・・のか?これは(笑)。「長いものには巻かれろ」と開き直っただけかも。
今回新たに登場するのが、マリーとその息子ステップス。
シングルマザーでバーで働いているマリーを、自分のレストランにスカウトするロッキー。そこにあるのは、かつて不良少女だった彼女への親心のような・・・と思いきや、それにしちゃあまりにも熱心なロッキー。「下心はない」と言い張ってるが。
結局、マリーとの関係は微妙なまま、次回へと続く・・・・
のか?もしかして
息子ステップスに対しては、父親不在の弊害や非行に走りそうな雰囲気を察知して、何かを決意して近づくロッキー。そんな彼を連れて行った先は、犬の保護施設。
「あぁ、動物を飼うことで、何か重要なことを教えようとしてるのねロッキー。
動物で更生するような歳でもないけど、ま、いっか」
なんて思っていたら、ステップスの意見を無視して自分の気に入った犬を選ぶわ、彼に面倒を看させるのかと思ったら、自分で飼うわ・・・・
あんた、単に自分のトレーニング相手が欲しかっただけじゃ・・・
ステップスは、檻の中から尻尾を振って寄ってくるキュートな犬を選ぼうとする。
しかしロッキーは、「これだ」と、隅っこでじっと動かない老犬を選ぶ。
犬の愛想のなさとくたびれ具合に、「あっちの方がいい」とステップスが主張すると、
「こいつは無駄な動きをしていない」と、ボクサー理論を持ち出すロッキー。
いやいや、犬は、ただ面倒臭いだけだと思うけど(笑)

老犬をゴリ押ししたロッキーは、ステップスを犬の名付け親に任命する。
ここでも、なかなか名前を気に入らないロッキーが、ようやくOKした名前が「 パンチー」。
パンチ(Punch)じゃなくて、パンチー(Punchy) 。
適当に言ったステップスが、採用されて驚いていることから、変な名前なのだろう。
punchyには、punch-drunkの意味と、力強い・パンチの効いた、という意味があるらしい。
パンチドランカーなんて、ボクサーには縁起が悪いから、彼は驚いたわけだ。
以上が、ステップスの最大にして唯一の見せ場で、その後は鳴りを潜める(練習場と試合にはいたが)。彼に近づく時に見せたロッキーの決意の表情は、何だったのか。母親を落とすにはまず子供から・・・と考えただけだったりして。
で、めでたく、ステップス・・・ではなくロッキーに飼われることになったパンチー。
かつてスタローンの公私共にパートナーだったバッカス(Butkus)さながら、ロッキーのジョギングの横には必ずパンチーの姿。
初対面時同様、愛想が全くないところが、可笑しくて可愛い。尻尾も振らない。
それでも嫌がらず、懸命に走る姿が微笑ましい。紐付きだから、仕方ない(笑)
本音は、「老人同士だからって、付き合わされていい迷惑」といったところか。

劇中の登場人物の中で、一番懸念されるのは、対戦相手となるディクソン君だ。
現役の世界チャンピオンの彼は、あまりにあっさり勝ちすぎると言う理由でクレームをつき、不人気に陥っている。
そういう同情を誘うキャラゆえ、この時点でラストが見えた。
ロッキーとの戦いで男ぶりを上げ、人気を取り戻すのかと・・・。
そして、あの試合結果。現実的に見れば、初めて長丁場を戦い抜いたことへの賛辞より、「60代相手に苦戦しやがって。やっぱり相手が弱かっただけじゃんか」と、ますます世間の風当たりが強くなると思われる。
もし彼が嫌な奴だったら、あのラストに、観客はカタルシスを得られなかった。
つまり、あれはロッキーのための布石だったのか。健闘を祈る、ディクソン。
というわけで、ロッキーは完全燃焼し、その他の皆さんは不完全燃焼。
これぞ、ロッキーの、ロッキーによる、ロッキーのための映画。
原題が「ROCKY BALBOA」(ロッキー・バルボア)であることからも、「ロッキー・ザ・ファイナル」は、シルヴェスター・スタローンがロッキーに捧げたオマージュ映画。
さて、この映画を観に行った人々の最大の関心事は、「60代スタローンの体がどこまで作られているか!?」、に尽きるだろう。
そんな観客の期待と不安をよそに、なかなか裸を見せないスタローン。
トレーニング中はずっとトレーナーを着用。筋肉披露は試合まで引っ張る。
そしてようやく見せた久しぶりの肉体に、「おっ、意外とイケてるやんか!」と、驚くより先にホッとするのであった。

しかし、スタローンの大胸筋に異様に浮き出た血管が痛々しい。
筋肉増強剤を打っている証だ(その後、所持してるところを捕まる)。
顔がむくんでいるのは、ステロイドの副作用だろうか。
最初、裸を見せないのは 出し惜しみか、撮影と同時進行で体作りをしたのか、さすがに体に自信が無いのか・・・などなど思っていたけど、薬の危険やCG処理(?)の出費を極力減らすためだったのかもしれない。想像だけど。
そんな危険を冒してまで試合シーンに全身全霊を捧げたスタローン。そしてベースとなる体は、やはりどうして60代には見えず、実際かなり頑張ったのだろう。
ロッキーリアルタイム世代じゃない私が、劇場でロッキーを観て感慨にふけったくらいだから、真のロッキーファンは感動することだろう。そして、ロッキー・バルボアのボクシング人生とシルベスター・スタローンの映画人生を重ね合わせる。この映画に向けられる観客の目は、想像する以上に温かいのではないだろうか。
ラジー賞の最多受賞者のスタローンだが、今作は、ロッキー続編としては異例の、ラジー賞にノミネートすらされなかった。
フィラデルフィア美術館で老若男女がロッキーステップするエンドクレジット最後に、ロッキーに選ばれたパンチー君。表情がたまらん。
- 2007/05/23(水)
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20日にようやく終わった春の交通安全運動。
3月の風物詩・年度末全国一斉道路工事祭に続く、4月の風物詩。
が、今年は5月。4年に一度、統一地方選挙と重なるため、時期がずれるのだ。
この期間、いつもながらの様々な催し物が全国で開かれた。
子供や音楽隊、芸能人が参加する盛大なパレード。
今年の一日署長は、全国で、高島礼子、安倍なつみ、上原多香子、本仮屋ユイカ、雛形あきこ、南野陽子などなど。
これぞ、交通安全という大義名分を掲げた、ザ☆天下り団体のための広報啓発活動。プレゼンテッド・バイ (財)交通安全協会。
そんな「動」の活動に対して、「静」の役目を担うのが、テントである。
行く先々で巨大なテントがデーンと鎮座ましまし、テント下では座談会に花が咲く。
横断歩道に立つならまだしも、座っていて何が出来るわけでもない。
初日に遭遇したのは、交通量の多い交差点のまん前にテントが張られ、6人のおじさんたちが延々と井戸端会議。誰一人道路側を見ちゃいない、どころか、体すら向いていない。歩行者通行の妨げ以外の何ものでもない。
また、いつ見ても中が不在のテントなんてのもある。テントがあるだけでドライバーは注意を払う、なんて言うのであれば、それは詭弁というもんだ。
学生の頃に半日だけ、このテント番に参加したことがある。
アルバイトをしていた飲食店の店主から頼まれたのだ。町内会で当番が回ってきたらしい。
「何をすればいいのでしょう?」と聞いたところ、
「缶ジュースでも飲んで、ただ座っていればいいから」と言われる。
現地に行ったら、テントの真ん前に、思いっきり駐車違反の車が止まっていた(笑)
新宿区だったので、目の前の交通量はかなり多い。
テントに書かれた「交通安全」の文字って一体・・・。思いっきり、なめられてるし。
一応何かしらの任務を引き受けている身として、見過ごしていいものかどうか。
しばらくしてやって来たおじさんに聞いてみた。
「あ、いいから、いいから」と、缶ジュースを1本もらった。
ジュースは敗北感の味がした。(ウソです。その頃、天下りって知らないし)
また、テントの中の長テーブルには、何種類ものパンフレットや冊子が山積みになり、紙風船が大量に置いてあった。紙風船は運動促進グッズだろう。
「暇だったらパンフレットでも読んでて」
いやいや、それだったら、忙しいお店に戻ってもいいでしょうか。
その間もお給料が発生しているであります。
さらには、

「紙風船、好きなだけ持っていっていいよ」
要りません。紙風船は好きだけど。
なんなら、箱ごと持っていって、お店の販促品に使ってもよろしいでしょうか?
あの(財)交通安全協会の作った大量のパンフレットたちは、その後廃棄処分されたのだろうが、年に2回、全国規模でそれが繰り返されていると思うと、もったいないお化けが出そうだ。
せめて紙風船たちは、次回持ち越しとか保育園に配るとか、悲しい行く末になっていないことを祈る。
- 2007/05/21(月)
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「クィーン」でのウィンザー家の皆さんの発言が面白かったので、その名言・格言・珍言の数々を列挙してみた。
メイン記事はこちら →
ロイヤルファミリー劇場「クィーン」
「どうして皆、会ったことも無い人の死をそんなに悲しめるのかね」 by エディンバラ公フィリップ殿下(エリザベス女王の夫)
この映画で一番印象に残ったセリフ。
宮殿の前を埋め尽くす花束と絶望の淵で悲嘆にくれる国民を目の当たりにし、フィリップ殿下が心底不思議そうにつぶやく。(確かに当時の英国民の悲壮感は凄まじいものがあり、当時ニュースを見ていた私も、同じようなことを思った記憶がある)
さらに、こんなことも。
「ダイアナの裏の顔は、表には出ないんだ」直接関わった者だけが知る事実なのか、やっかみ半分なのか・・・。とにかく、ダイアナを愛するイギリス国民にとって聞き捨てならないセリフであることは確かで、観客に軽いジャブを与える。
「ダイアナは、生きていても死んでも厄介」 by マーガレット王女(女王の妹)
本人は登場せず、彼女と電話で話したフィリップ殿下がそれを聞いて女王に伝達。
彼女は生前、ダイアナの唯一の理解者だったとされる人だが、実際にそのような発言があったのかどうか。それを聞いているのは、限られた身内だけなのだから。本当は彼女を矢面にしたフィリップ殿下の発言なのでは・・・と密かに疑っている私。
「孫たちには言わないで」と釘を刺されるところが、フィリップ殿下らしい。本当に言いそうだから。
「それは私の葬儀プランよ」 by 皇太后(クィーン・マザー)

王室を出たダイアナ元皇太子妃の葬儀を国葬にするかしないかのすったもんだの末、世論に屈して国葬が決定。そのプランを聞いていた皇太后(シルヴィア・シムズ)が、目を丸くして一言。
それに対して側近は、
「唯一リハーサル済みでして」(笑)
さすが、当時すでに100歳間近の皇太后、自他共に余裕の構え。
また、チャールズ皇太子が王室の専用機でダイアナの遺体が安置されたフランスに飛ぼうとした時、女王から
「民間人を運ぶのに国費を使っては、浪費だと非難される」と止められたところ、皇太后が
「私が死んだ時のために1機待機してるから、それをお使いなさい」と。
マーガレット王女も皇太后も、この5年後に他界。彼女たちは、死後このような形で大衆の目に晒されるなんて想像もしなかっただろうが、今となっては死人に口なし。天界から、「そんなこと言ってない〜」「プライバシーの侵害だ!」「フィリップめ〜」なんて声が聞こえたりして。
「おやすみ、キャベツちゃん
」 by フィリップ殿下

英語で"Cabbage"と言ってたけど、フランス風「マイハニー」の意なのか、それとも、女王がキャベツヘアーだからなのか(笑)。
私の会社の同僚がフランス人の恋人から、"Mon Petit Chou"(モン プティ シュ)なんて呼ばれていたが、フランスでは、キャベツ(Chou)=愛らしいものへの愛称らしい。なお、同名のシュークリーム店もあるように、シュークリームの名の由来はキャベツ(=Chou)

。
「最初は(ダイアナも)いい娘だったんだよ」 by フィリップ殿下
妻のエリザベス女王に
「あなた、二人の結婚に賛成してらしたじゃないですか」と言われての一言。そういや、煮え切らないチャールズに発破をかけて、二人が結婚するように後押ししたのは彼だったな・・・。
「ダイアナを悪く言うのは、王子たちの母親を悪く言うことだ」 by チャールズ皇太子

皆揃って亡くなったダイアナの悪口を言う家族に対して、毅然とした口調で。他にも、
「世間の目を意識しすぎていたけど、子供たちには良い母親だった」とか、
「将来の国王となる母親の遺体を戻すのに専用機を使うことが浪費なのか」とか、株を上げそうな発言が。
単純に浪費を正当化しているようにしか見えなかったけど(笑)。
ただ、本当にこう言ったかどうかは、かなり怪しい。
そもそも、あなたのキャベツちゃんはどこ?
フィリップ殿下はカミラさんのことを
「あっちの彼女」と呼んでいた(笑)
「なんだ、芸能人とホモばっかりじゃないか」 by フィリップ殿下

ダイアナの国葬の参列者リストを見て一言。
なお、失言王の異名を持つ人ゆえ、この映画を観ても、何が失言なのか分かっていないかも。
←ウェストミンスター寺院での国葬のシーンが挿入され、思いがけず出演してしまった豪華俳優人たち。
トム・クルーズ&ニコール・キッドマン、トム・ハンクス、スティーブン・スピルバーグ。そして、エルトン・ジョン、スティング、パバロッティ・・・。
「気晴らしには、狩が一番じゃ」 by フィリップ殿下
悲しみに暮れる孫たちを、鹿狩りに連れて行くフィリップ爺。母親が亡くなった翌日に殺生かい。狩猟=貴族のスポーツ、というお国柄といえど、その理解をはるかに超える世界。女王も
「母親を亡くしたばかりなのに・・・(さすがにそれはどうなのかしら?)」と心配するが、意にも介さない。そして連日、狩狩狩。この人の頭の中は狩と茶以外にないのか。その結果がこれ↓

←この範囲だけで7頭の犠牲
尚、演じているのが動物愛護家のジェームズ・クロムウェルなのが、なんとも皮肉。

ティータイムを電話に邪魔され、「お茶が冷めるだろ

」と不機嫌なフィリップ殿下。首相との大事な電話なんだが。
※この作品はフィクションです。ただし、登場する人物は実在しています。
- 2007/05/19(土)
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truetruetrue「クィーン」を観て、世界中で一番驚いたのは日本人ではなかろうか。否が応でも我が国と比べてしまうから。王制廃止を統計で取るとか、赤坂御所のお茶の間風景をドラマ仕立てで再現するなんて、100年経っても実現しないだろう。そんな日本の事情(菊タブー)を、イギリスの国民だって到底理解できないだろうけど(説明するのも難しい)。でも、イギリスの王室が寛容かどうかは、別の話。

この映画、ドキュメンタリータッチで、限りなくノンフィクションを装っているところがミソ。「ここまで暴露していいのか?」と思わせ、リアリティを醸し出すことで、観客に何かを植え付け、何かから目を逸らさせたいのだろう。
フィクションとはいえ、実在の人物を登場させるに当たり、言ってないことを言ったとするのは何かと問題がある。事前にチェックが入っているのはもとより、王室や関係者から提供されたネタが基になっているのだろう。王室存続のためなら、ちょっとした自虐ネタも喜んで提供しましょう、と。
映画は、一見王室批判の姿勢を見せながら、その実、国民の集団ヒステリー現象を思いっきり揶揄している。あの時、人々の感情を煽ったのはメディアだった。群集心理がメディア操作されやすいことは映画にもはっきりと表されているのに、この映画を観てコロッと同調する向きがあるのも否めない。当時絶叫し王室を罵倒した人々は、この映画を観てどのように感じたのだろうか?

がしかし、これがプロパガンダ映画であったとしても(否、だからこそ)、面白い。世界で最も有名な王族一家のお茶の間風景(どころか寝室まで)が見られるのだから。古典ものに登場する豪華絢爛たる衣装や宮殿ではなく、寝間着姿でああじゃこうじゃ言い合ったり、女王が自らレンジローバーのハンドルを握ったり。ついでに、とっ散らかったブレア邸まで(笑)。王室の無駄遣いに目を光らせている国だけに、これも庶民の視線を意識してのことなのか。
「なぜ、今この映画が作られたのか?」さえ念頭に置けば、ヘタな娯楽映画より笑って泣けるエンターテイメントドラマ。毒舌な姑や強い妻、不甲斐ない息子に、少しズレた夫。英国らしい皮肉満載の、ロイヤルファミリー版「渡鬼」。ドラマ化されたら毎週観ちゃうな。
家を出て行った嫁の事故のニュースを見る家族。

嫁と姑がキーキーうるさくて、「TVの音が聞こえん」と怒る夫。
息子も加わり、口論勃発。

彼らの発言が面白かったので、別ページにまとめてみた(笑)
→
「クィーン」名言・格言・珍言集人気急降下の王室に対して、赤丸急上昇のブレア首相。それに擦り寄るかのように、「若い者同士、革新の同志だね

」と緊急の電話でわざわざ伝えてきて、「気持ち悪い」とブレア首相を嫌悪させるチャールズ皇太子。日和見的な保身と主体性の無さを見せるが、イメージどおりというか、今さらダメージにもならないだろう。
それより、彼がダイアナ元皇太子妃を庇う発言が、何度か登場するのが気になる。
ダメじゃんと思わせておいて、ここぞというところで「おっ、なかなかやるじゃん」と思わせた方が信憑性も効果も高い。だとしたら、脚本の巧妙さに唸る。
そもそも、正式に籍を入れてなかったとはいえ、カミラさんが全然登場しないのは不自然だろうに。これも観客の目を意識した計算ずくなのか。

この映画で、一番得をしたのはなんといってもトニー・ブレア元首相でしょう。かなりの美化具合で非の打ちどころ無し。”背番号10・BLAIR”のサッカーユニフォームという部屋着で、親近感をもゲット。
「あの連中は、霊柩車の議論だけにどれだけ時間を掛けるんだ」と呆れかえり、王室の旧態依然とした体質を批判する反面、女王には敬意を払う。多くのイギリス国民がそうであるように。
女王がダイアナの死後初めてコメントを発表しようとする時、批判的な周囲に対して、「彼女は、50年間、威厳を保ち国民のために尽くしてきた。人生をかけて守ってきたものに後ろ足で砂をかけた人間(ダイアナ)を、女王は弔おうとしてるんだぞ!」と激昂する。
それまで決して公の場で言われることの無かった、ブレア首相のダイアナ像。彼女を敵視するロイヤルファミリーからじゃなくて、好感度上げ上げのブレア首相の口からこの言葉が飛び出すところがミソ。フィリップ殿下の「後ろ足で砂をかけて王室を出てった者に、そこまでする必要があるのか」発言とは、全然違う重みが含まれている。

就任直後にダイアナ元皇太子妃が亡くなり、コメントを発表した時の、”People's Princess”というフレーズが大衆の心を鷲づかみにし、ブレア人気に火をつける。
この世の中、要人のコメントにはそれを作り上げるブレーンがいるわけで、この映画にもブレア首相の側近のアリスター・キャンベル(Alastair Campbell)報道担当補佐官が暗躍する姿がある。スピン・ドクターとして名を馳せただけあって、裏では毒気たっぷりの皮肉を撒き散らしながら、国民を惹きつける美しい言葉を編み出す。そして生まれた”People's Princess”は、大成功を収める。

→
実際の演説動画一方、道化師のような滑稽気味な描かれ方をしていたのが、首相夫人のシェリー・ブレア。もともと、マスコミではそういう扱われ方をしてきた人で(その辺はアッキー似)、実際に反王政派なので、あまり気にしてないだろうし(たぶん)、個人的には見ていて軽快だった。
王室にあまり敬意を払わない彼女が、王政反対派の代弁者となり、映画としてはうまくバランスをとっている。

夫が首相としてエリザベス女王に正式に認められた後に、入室を許されたブレア夫人。足を交差して曲げ、お辞儀になっていない(笑)。
そして、「女王に背中を見せてはいけない」と事前に忠告を受けた夫妻が、後ずさりしながら退室する姿には爆笑。(日本はもっと決め事がありそうだが)
それにしても、ヘレン・ミレン演じる女王が素敵すぎて、女王の好感度が高まるのは必至だろう。それを一番強く感じているのは女王ご本人なわけで、汚名挽回に多大な貢献してくれ、アカデミー主演女優賞を受賞スピーチで女王に敬意を表したヘレン・ミレンを、感謝の意を込めて晩餐会に招くのもよく分かる。そしてそれを蹴ったヘレン・ミレン。辞退の理由は、映画の撮影もさることながら、これ以上プロパガンダの片棒を担ぐのはごめんだわ・・・ということなのか。
そして、フィリップ殿下にそっくりなれど、実像は似て非なるジェームズ・クロムウェル。

→ ヘレン・ミレン武勇伝&コーギーで抗議事件
→
ジェームズ・クロムウェルの嘆願
- 2007/05/18(金)
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一昨年に「
サウス・バウンド」を読み終えたときの独りごち。
「あまり映画化して欲しくない気もするけど、避けては通れない(業界が黙っていない)だろう。その場合、上原一郎役を誰がやるかが重要だ」

上原一郎は主人公である二郎(小学6年生)の父親。元過激派の伝説の闘志。二郎の修学旅行の積立金に関して学校と旅行会社の癒着を疑い、小学校に乗り込んで内訳の提示を求めたり(現実問題、学校の先生が旅行会社からリベートもらったり彼らの慰安旅行をサービスしてもらったりなんてことあり)、「誰かが戦わない限り、社会は変わらない」が信条。
背が高く、八重山の英雄アカハチの子孫と言えば皆が信じるイカメシイ風貌。

ちなみに、オヤケアカハチは、円谷さんちのウルトラマン怪獣
レッドキングのモデルだそうで。どちらも吠えておられます。
(左:オヤケアカハチ像)
昨年の夏に角川映画のサイトでラインナップに挙がっているのを発見した時、一郎役を脳内キャスティングしてみた。
「原田芳雄?麿 赤兒?う〜ん、年を取りすぎだし、背も足らんな。
では、宇梶剛士は?元暴走族総長だし。ただ、ちょっと、深みが・・・。」
しかし、待てど暮らせど、アップされないキャスティング。
その間に、「東京タワー」のオトンが小林薫に決まり、船の模型制作を寸止め(?)してしまうおとん像にぴったりだと感心しきり(観てないけど)。
しかし一郎情報は、いっこうに伝わってこない。
本当に今秋に公開されるの?と危ぶんでいたところ、ようやく、キャストの一部が発表された。そして、わが目を疑った。
一郎が、豊川悦司。
妻・さくらは、天海祐希。
なんてさっぱり顔のアカハチなんだ・・・。
そして、妻さくらの持つ意外性はどこにいった・・・。
すでに、高めの声で小学校の先生に捲くし立てるトヨエツの姿が目に浮かぶ。
トヨエツは好きだけど、最近多いぶっ飛んだ役やコメディは、あまり似合っていないと思われ、見ていて居心地の悪さを感じてしまう。一郎が空回りしなければいいのだけれど。
ただ、サウスバウンドの面白さは父親に振り回される息子の心情や子供たちの世界の描き方にある。中でも好きキャラの向井君(老成したジジイのような小学生)には期待したい。
著者の奥田英朗氏によると、「サウスバウンド」は、映画「モスキート・コースト」がモチーフだそうだ。(
インタビュー記事)
文明社会に失望した父親が家族を連れてジャングルへ入るという話なんだけど、その映画と同じように“デタラメな父親に翻弄される息子”という話を書いてみたくて。
なるほどね。ただ、「モスキート・コースト」は痛々しく、「サウスバウンド」は痛快。
「モスキート・コースト」(The Mosquito Coast)
監督:ピーター・ウィアー(米,1986)
父親が若かりしハリソン・フォード、妻がヘレン・ミレン、息子がリバー・フェニックス、という家族構成だけでも、観る価値あり。
どちらも子供にとってはハタ迷惑な父親であるが、ハリソン・フォード扮するアリー・フォックスに比べて、上原一郎はもっとまともだ(と思う)。アリーはかなり偏った理想主義者。一郎は元過激派ながら右でも左でもなく、一本筋が通った個人主義者。
一郎は理想郷のパイパティローマを目指すが、アリーが向かう先は自滅である。
「子供は親を選べない」という子供の無念さが描かれていながら、アリーの息子・チャーリーの苦悩ぶりに同情し、一郎の息子・二郎の当惑ぶりは微笑ましくも羨ましい。子供のときは、ヨソ様と違う親は死ぬほど恥ずかしいものだが、成人し社会の歪みを知るようになった時、二郎は一郎のような父を持ったことを誇りに思うことだろう(たぶん)。

ちなみに、恰好いい父親像として上原一郎と双璧をなすのが、タイプは違えど「重力ピエロ」(伊坂幸太郎著)に登場する主人公の父。
その「重力ピエロ」も映画化が決定している。
(伊坂作品を全部映像化する魂胆か)
さて、その父を演じるのは誰だろう?
そして、冒頭で空から降ってくる「春」は誰が?
- 2007/05/15(火)
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