『
乳と卵』 川上 未映子
『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ 村上春樹
『断食芸人』(白水uブックス) フランツ カフカ 池内 紀
『
治療島』 セバスチャン・フィツェック 赤根 洋子
『他人事』 平山 夢明
『
タルト・タタンの夢』 近藤 史恵
『狐闇』 北森 鴻
『メイン・ディッシュ』 北森 鴻
『旅行者の朝食』 米原 万里


『スパイス完全ガイド』 Jill Norman 長野 ゆう
『スパイスの人類史』 Andrew Dalby 樋口 幸子
『記憶のスパイス』 高山 なおみ 齋藤 圭吾
『カレーの法則―スパイスマジックでつくる』 水野 仁輔
『枝元なほみのスパイスがおいしい!』 枝元 なほみ
『はじめまして。「かえる食堂」です』 松本 朱希子
『洋風料理私のルール』 内田 真美
『朝ごはんの愉しみ』 内田 真美
『毎日つかう漆のうつわ』 赤木 明登

- 2008/03/30(日)
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単行本の装丁に惹かれながらも、いつものように文藝春秋で。
![文藝春秋 2008年 03月号 [雑誌]](http://images-jp.amazon.com/images/P/B00133VRSW.09.TZZZZZZZ.jpg)
乳と卵川上 未映子
先入観が邪魔になるので選評は後回し、
後からの楽しみに。
今回は受賞者インタビューだけでも面白い。
芥川賞受賞直後の週刊文春2008.1.31号に早速インタビュー記事が掲載されていて、笑ったのが「ダ・ヴィンチ」編集長の
「いきなり『未映子と申します。一度お会いください。お昼ごはん食べましょう』と電話が来て、びっくりして腰が引けた。アブない人かと思ったので、『昼は食べない主義なんです』と一度電話を切りました」
このエピソードは今回の文藝春秋のインタビューにも引用されていた。その文藝春秋の巻頭の受賞者インタビューのタイトルが、「家に本が一冊もなかった」。それが今や芥川賞作家!というインパクト効果を狙ってのものだろう。北新地のホステス時代の話(毎月1日に紅白饅頭や蘭の花を持ってお客さんまわり、弟の大学の学費を出すため・・・)、本屋や歯科助手のアルバイト経験など。歯や髪に興味があって顕微鏡で観察していたとのことで、あの『
わたくし率イン歯ー、または世界』の歯フェチ女は意外に身近なところに(笑)。なるほど『
先端で、さすわさされるわそらええわ』にも髪の毛の話があった。
そして『乳と卵』にもちらりと髪のことが出てくる。
銭湯帰りに「わたし」こと夏ちゃんが無意識に髪を触るのを巻子が指摘するシーン。夏ちゃん(おそらく夏子)は、心の中ではあらゆる突っ込みを入れつつも二人の母娘をそっと見守る黒子的役割で、強烈な巻子に対し控えめな感じだが、ここでのみ夏ちゃん主体として描写される。
「ガタガタのくせのあるこの一本を指先で調べて、抜いて触るのが好きで」
話の流れとは全く関係ないくだりだが(笑)、これを読んで、あぁ私と同じだ、と。
夏ちゃん、というか著者自身に親近感が倍増してしまった。
想像するに、未映子女史がカツラを愛用していたことからも、彼女自身が一筋縄ではいかない髪質なんではなかろうか。ガタガタの髪を一本一本調べる癖があるのでは。(私はこの確認作業が日課となっている)
『乳と卵』の登場人物は、わたし(夏っちゃん)、姉の巻子、その娘の緑子。
今回も登場人物の職業がホステスと著者の職務経験とダブりつつも、巻子の勤め先は高級クラブではなく安っぽいスナック。女手一つで育てている娘の緑子は、ここしばらく言葉を話さずペン書きで会話をしている。その母娘が数日間大阪から東京の「わたし」の家に泊りにやってくる。巻子の豊胸手術の下見のために。上京した時の巻子のスナックのようなチープさがリアルで切ない(脱いだらもっと切ない)。
題名の『乳と卵』の「乳」は、巻子の豊胸手術から派生する銭湯での乳観察や乳論議など一貫して登場するキーワードであり、緑子の苦悩の元でもある。また「卵」は卵子であり、これもまた緑子の出生や大人への漠然とした不安に絡めつつ、ラストで言葉の代わりに使われる鶏の卵にも掛けられている。
夏ちゃんが緑子と辞書でいろんな言葉を調べるシーン。
心のもやもやを言葉で表現できない緑子がはっとして、ペンで語る。
<もしかして、言葉って、じしょでこうやって調べてったら、じしょん中をえんえんにぐるぐるするんちゃうの> (中略)
<ぜんぶ入ってることやの?イミが?> (中略)
<じゃ、言葉のなかには、言葉でせつめいできひんもんは、ないの>
心で思うこととそれを言葉で伝えることには深い溝がある。でも言葉にしなければ伝わらない。溢れる思いがあればあるほど、言葉が追いつかない。
自分を産んで胸がしぼんでしまった母が今さら豊胸手術するという、母の苦しみに何もしてあげられないもどかしさと、そこまでして胸を大きくしたい女というものが理解できない緑子。
言葉を話さなくなった娘からちゃんとした理由を問えずにいる巻子。
その二人の架け橋となるような言葉がみつからない「わたし」。
ああ、巻子も緑子もいま現在、言葉が足りん、ほいでこれをここで見ているわたしにも言葉が足りん
言葉が出てきんでもどかしい時、その言葉にならぬ感情が溢れると人間は体が動く。そこに卵があったなら・・・・・というラスト。ようやく排卵・・・じゃないや産卵して苦しみから開放された感じ。いろいろ問題を抱えているけどこの家族は大丈夫、根底にはたくさんの愛が溢れている。
暗くなりがちなテーマながら文章は軽快で笑える箇所もいくつか。いつもの○○部という言い回しや徐々に言葉を短縮してビートアップしていくテンポは彼女ならでは。豊胸手術について不自然になりがちな点を延々語る巻子に、「わたし」がはぁと頷きながら心の中で突っ込む、
ばれる、ばれない、誰に。
って確かに(笑)
そのまま、過去にこれと似た会話をたどって「わたし」の回想に突入。
胸を大きくしたいという女子と、それは男のためだと批判する女子の言葉のバトル。ああ言えばこう言うで男根精神に魔よけ説まで登場(笑)。文章も畳み掛け、胸大きく女子→胸派女子、胸女子、冷っと女子→冷り女子、と省略化でスピードに拍車をかける。自分の価値観を押し付ける冷っと女子、少なくとも彼女は胸にコンプレックスはなく、他人の事情や心情を慮る想像力もない。胸大きく女子の”化粧”で形勢逆転、やけっぱちの逃げ切り勝ちに思わず拍手。
最後に楽しみに取っておいた選評を。
「饒舌に語りながら無駄口は叩いていない」と評した山田詠美と「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは、私には不快でただ聞き苦しい」と評した石原慎太郎。
やはり石原慎太郎は受け付けなかったか(笑)。もはや風物詩化してしまった感。
どこででもあり得る豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。前回の作品の主題の歯と同じだ。(中略)この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。
どこでもあり得ないということをあれだけ巻子が説明しとったやんけ(笑)。
乳房のメタファって、そんな冷っと女子みたいな。
新東京銀行設立時も、「将来慙愧することはあり得まい」と思ってたんだろうなぁ。
- 2008/03/27(木)
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クライマックスに近い堀田イトの活躍が序盤で早々と登場した時はどんな展開になるのかと思ったが、意外に原作に忠実だった。鹿に乗った堀田イトを実写で拝めた。
原作を未読の人は1話目で逃げ出すのではないか?自分が未読だったら果たして面白いと思えたか?と自問しながら、最後まで観続けた一番の理由。それは、
鹿のエンディングがツボだったから

1話目で早々に鹿化した玉木宏より、その直後に流れた鹿の群れに目が釘付け。
鹿の神々しさと壮大な音楽(佐橋俊彦)に涙が溢れた(本当です)。
毎週エンディングになるとテレビの前に正座でスタンバイ。
馬ではなくて、鹿のあのような勇姿は貴重だった。ビバ鹿!
ここで、ドラマが始まる前に
思っていた件について、統括してみます。
挙げていたのは、
1.よくまぁ、これをドラマ化しようと思ったものだ
2.さてはホルモーを映画化しようといういう魂胆か
3.玉木宏の鹿化はかなりツボである
4.綾瀬はるかは誰の役をするのか
5.奈良公園の鹿にポッキーを与える困った輩が続出するのではないか
結果は以下のとおり。
1については先に述べたように、最後までその疑念は継続した。
2については、とうとう現実のものとなった。
しかも、私はそのホルモー映画化を
モリミーのブログで知った(笑)。
3、被り物をしなくても玉木宏の顔は十分鹿に見えた。
4の疑問は鑑賞前に解決しており、藤原君の女性化ということだった。それによって「まさか二人の間に色恋沙汰が」「同僚が綾瀬はるかだと、マドンナの存在が薄れないか?」という新たな疑問が生じていたわけだが、果たしてその通りであった。
そして、一番懸念していた5のポッキー問題について、
ポッキー餌付けについては、すでにそういった観光客がいることは想像に難くなく、ドラマ化した日にはますます拍車をかけること間違いない。対処法として、この部分をカットするか、ドラマの最後に「鹿にポッキーを与えないでください」と入れるか。
と書いたが、結果は後者だった。しゃべる鹿の好物であるポッキーのポの字も無く、ラストではご褒美(餞別)に彼が嫌いなはずの鹿せんべいをあげるのである。テレビでポッキー餌付けをやれば本と比較にならないほど真似する輩が続出するだろうから、当然の成り行きともいえる。
原作と違っていたのは、本来鹿について話そうとしても話せない呪縛がドラマにはなかった。ただし、話せても最初は信じてもらえないのだが(鹿に話しかける綾瀬はるかのキャラは、やはり「ホタルノヒカリ」の系統を踏襲していた)。
リチャードがネズミの遣いだと知るきっかけとなる、鹿のアナログ加減(デジタル非対応)のくだりもなかった。
そして、藤原くんのかりんとうは湿気てなかった。
翻弄されキャラが板についた玉木宏。
天然キャラを確立した綾瀬はるか。
そして、最近めっきり変キャラづいている佐々木蔵之助。
今クールで他に見ていた「斉藤さん」、水木と二日続きの蔵之助鑑賞となった。
戦う真野若葉(ミムラ)との掛け合いが絶妙、近年のベスト夫婦賞をあげたい。
思えば、昨年末の「椿三十郎」でも、押入れ侍がツボだった。

- 2008/03/24(月)
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本屋で平積みされていたら否が応でも目を惹く。
青い熊のぬぐいぐるみで顔を隠した少女に、「治療島」というタイトル。
不穏度数120%
治療島セバスチャン・フィツェック 赤根 洋子訳
読み始めてしばらくして気付く。
青い熊だと思っていたのは、猫だった(笑)
名前は"ネポムク"という。
失踪した少女ヨーズィが大事にしていたぬいぐるみ。
これがこの小説のミステリー・・・というわけでは全くない。
ここで改めて表紙をじっと見る。よく見ると、なんとも不思議な構図だ。
少女はぬいぐるみを抱きしめているわけではない。
ぬいぐるみで顔を隠しているにしては、手が不自然。
両手で見えない棒を握っているような・・・そう、この少女には風にはためく旗がしっくりくる。その旗を消し、ぬいぐるみで少女の顔を隠したみたいなアイコラ風。
少女とぬいぐるみは同時空間に存在していない・・・?
このカバーイラストは、中島恵可氏によるもの。
水彩画のタッチに記憶があると思ったら、トマス・H・クックだった。
クック作品は翻訳者がころころ変わるけれど、表紙は一貫して中島氏だったはず。
ヨーズィの手のポーズの意味についてぜひ聞いてみたいところ。







クックの本は、『緋色の記憶』 『夏草の記憶』はまだしも、それ以降、どんな内容だったか題名と内容がごちゃ混ぜになる。
『死の記憶』『夜の記憶』ともなると、どっちを読んだか本屋でしばし悩んだものだ。
死と
夜の字も紛らわしく、結果、こんなことに・・・

私の記憶の方が心配

なお、このイラストも中島恵可氏。
付けっぱなしだった帯をはがしてみて、新たな発見に驚いた。
帯に隠れていた少年の顔が・・・・・めっちゃホラーやん(笑)。
『石のささやき』の少年の顔もだが、人物の顔が写真のようにリアルなのだ。
その中島氏、昨年ちょっとした盗作騒動があった。
読売新聞社が5月28日付朝刊に掲載した連載小説「声をたずねて、君に」の挿絵が、月刊誌「ダ・ヴィンチ」2月号に掲載されていた写真に酷似していたことが分かり、同社は「著作権侵害の疑いが強い」として1日付朝刊でおわび文を載せ、制作したイラストレーター中島恵可氏の挿絵の使用を同日から取りやめた。 同社によると、5月28日の挿絵に対して「Jazztronik」のユニット名で活動するアーティスト野崎良太氏の宣伝用写真に酷似しているとの指摘が29日、同氏が所属するレコード会社ポニーキャニオンから読売新聞社にあった。 同社の調査に対し中島氏は雑誌に掲載された写真の無断利用と、ほかにも写真などをトレースして制作した挿絵があることを認め、謝罪したという。 (2007/6/1 共同通信)
さらに、
読売新聞朝刊に連載中の小説「声をたずねて、君に」の挿絵を担当したイラストレーター中島恵可(けいか)氏(51)=高知県在住=が他人の写真を無断で利用していた問題で、同社は2日、さらに35点の挿絵に著作権侵害の疑いがあるとの調査結果を発表した。 読売新聞社によると、同氏が新たに無断利用を認めた挿絵は06年8月30日付〜今年5月26日付の35点。高知新聞に掲載された32点と、読売新聞の3点の写真に酷似しており、高知新聞掲載のうち13点が共同通信社、5点が時事通信社、2点が主婦と生活社からそれぞれ配信されていた。各社に対し読売新聞社は2日までに謝罪した。同社は中島氏本人から事情を聴いた結果をもとに調査をしていた。
中島氏は同社を通じ、「小説の内容にできるだけ即した絵を描きたいと考える中で、時間の制約もあり、いけないことと知りながら、新聞に載った写真を無断で使用してしまいました」との談話を出した。同氏は6月1日付から挿絵の担当を外れている。 (2007/7/2 朝日新聞)
中島氏は普段から新聞などに掲載された写真を切り抜いておいて、必要に応じてトレースなどに利用していたとのこと。
クック本表紙のリアルな人物がトレースだとして・・・・引用元は大丈夫なのかな?
では、『治療島』の少女は?少女の手のポーズは???
と、カバーだけでもミステリーな『治療島』の内容について。
原題はDie Therapie、「島」が付いたのは邦題オリジナル。実際にパルクム島での出来事が半分を占めて綴られており、事前に与えるインパクトと、読んだ後もなるほどと思えるこの邦題がなかなかいい。
少女の失踪というと、どうしても背景に陰惨なものを連想させる(クックのような)。
重くて読み進めにくいのかと思ったら意外にサクサクと、2時間ほどで読み終えた。章の構成が「真実が明らかになる五日前」から1日ごとにカウントダウンされるので、「真実が明らかになった日」まで区切れなかったというか(笑)。
まず少女の父親が精神科医であり、自称統合失調症のアンナが登場し、ミュンヒハウゼン症候群なども引用され、一体誰が精神を病んでいるのか・・・それによって事件の見方も二転三転する。
統合失調症については、近しい人が発症したことで多少知っている。脳内の神経伝達物質(ドーパミン)の異常などにより、現実と非現実(妄想や幻覚)の区別がつかなくなる。多くの人にはなんでもないことに怯え、悩み、恐怖を味わう。脳で受け取ったものが唯一その人にとっての現実なのだから、ありふれた日常もサスペンスフルになってしまう。
だから、統合失調症を根幹に持ってくると、いくらでもミステリ小説や映画はできてしまう。それを使うのがルール違反とは思わないし、実際に多くの人に発生する精神疾患をどう扱うかは著者の手腕だ。そういえば、クックの「石のささやき」も統合失調症の話だった。
『治療島』の著者はテレビ・ラジオのディレクター、放送作家だそうだ。だからなのか、なんとも映画的なラストを迎える。重くて暗い作品だと思って読んでいたら意外にエンターテイメントだった、みたいな(笑)。そして実際に映画化されるのだ。
結末を知ってパラパラッと読み返してみたが、伏線はたくさん張られていて齟齬もない。というか、ああいうオチだと嘘も本当というか、嘘が嘘にならないわけで・・・。
内面と現実がごっちゃになる映画はいろいろあるが(「マシニスト」「オープンユアアイズ」(バニラスカイ)、デヴィッド・リンチ全般w)、なぜだか「水曜日に抱かれる女」を思い出してしまった。
訳者あとがきにも映画化に触れられており、どちらかというとハリウッド映画的で訳しながらトム・クルーズとニコール・キッドマンを連想した、と書かれていた。しかもキッドマンはアンナ役だそうだ。冷戦の末に離婚した二人の関係から考えると、夫婦役の方が似合っているような。それにラストに登場する妻イザベルはキッドマンでしょう(笑)。でも、妻イザベルはそんなヒドイ女だろうか?
- 2008/03/17(月)
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予告以上は期待できないだろうと臨んだジャンパー。
はたして、予想を全く裏切らなかったダグ・リーマン(笑)。
そういや、『Mr. & Mrs. スミス』も純粋に予告の方が面白かったっけ。
せめて笑いがあればなぁ。

映画の冒頭、ジャングルでジャンパー狩りをするパラディン。『クロスファイア』(宮部みゆき著)に登場する秘密組織ガーディアンのようでもあり、彼らはもっとダーティ。正義の名の下に魔女狩りを楽しむ残忍さが滲み出ている。相変わらず役を選ばないサミュエル・L・ジャクソンの、罠に掛かったジャンパーをいたぶる時の目がなんともサディスティック。
しかし、しょせんは普通の人間。いくら高圧電流装置を持っていようとジャンプ・スカーという空間の裂け目から追跡できようと、飛行機や電車で移動する人間がジャンパーに敵うとは思えん。一体パラディンのメンバーは世界中に何人いるというのか。
これまた宮部みゆきの『龍は眠る』にはテレポート能力を持った少年が登場するが、テレポートに体力を消耗するため緊急時のみ行使する。
一方、『ジャンパー』のデヴィッド君は、日光浴しにスフィンクス、ナンパしにロンドン、ビッグウェーブを求めて海をハシゴ・・・と地球規模でジャンプし放題。
さらには、リモコンを取る時、冷蔵庫を開ける時、車に乗り込む時など、ミニマムにも活用。体力消耗どころかメタボは必至。

また、ある日突然超人的な能力を手にした少年ピーターは、犯罪に立ち向かい、火事から人を救出するスパーダーマンとなる。
デヴィッドもジャンパーマンになる選択肢があるにはあった。人や物も一緒に移動できるジャンパーにとって救出活動はお茶の子さいさいである。しかし、デヴィッドは動かない。自分の能力はあくまでも自分のために。TVで遭難や火災のニュースが流れてもアニメに変える。無関心というより、わざと目を背けるかのように。意味ありげに2度もそんなニュースが流れると、ひょっとして善行に目覚めたりする伏線?と思わせ、結局最後まで変わらない(笑)。助けられる力を持つ者としての後ろめたさを暗示したのか、単に彼の人となりを強調したのか・・・まさか続編への伏線じゃ(笑)。
そんなデヴィッドを責めるつもりは毛頭ない。
私だって突然家なし財なしでジャンパーになったら、どっこいどっこいの勝負だろう。
レストランでご飯を食べ終えてジャンプ、試着室でジャンプ、映画館の客席にジャンプ、夜な夜なホテルのスィートルームにジャンプ(食い逃げ・万引き・無銭宿泊)・・・・と、銀行強盗までせずともなんとか生きていける。大半を南の島で過ごし、もちろん写真を入手して好きな俳優の部屋にもジャンプ!これって、子供の頃に「ドラえもんの『どこでもドア』があったら、あんなことこんなこと♪」と考えてたことと大差ない。デヴィッドのやっていることも、どこでもドアで氷山に行ってかき氷三昧するのび太と同じだ。そういう意味では、正義に目覚めたりせず銀行強盗や遊びに能力を費やす主人公は等身大キャラともいえる。ミュータントに能力コントロールを教えるプロフェッサーXの必要性を再確認させる映画でもある。
ところで、ジャンパーといえども生身の人間、事故に遭えば死にます。
ジャンプ先でいきなり車に轢かれることは往々に考えられます。
というか、パラディンに捕らえられる確率より高いでしょう。死ぬ確率も。
実際デヴィッドは不用意に交通量の多い街中にテレポートして車に轢かれそうになっている。どうも23歳にしては思慮が足りなくないか。
しかも最愛の彼女に危険が迫っているという時に、東京でカーレース遊びに夢中になって時間を忘れるってどうなの(笑)。15歳で成長が止まってるんじゃ・・・。
で、グリフィンは結局どうなったのでしょうか。
高圧電流に磔のまま置き去りにされたら、ジャンプ抑止以前に死ぬよ。
命の恩人に、この仕打ち。さすがは自己中デヴィッド。

私的には、主人公よりグリフィン@ジェイミー・ベルの方が断然タイプです。
- 2008/03/14(金)
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タルト・タタンの夢 近藤 史恵
【目次】
タルト・タタンの夢
ロニョン・ド・ヴォーの決意
ガレット・デ・ロワの秘密
オッソ・イラティをめぐる不和
理不尽な酔っぱらい
ぬけがらのカスレ
割り切れないチョコレート
下町のフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」に持ち込まれた謎を三舟シェフが解き明かす。俳句が趣味で同好会のおじ様キラーな元OLソムリエの金子ゆきがいい。
ビストロが舞台であるからして、目当てはミステリというより料理の方(笑)。
鉄鍋で出される「トン足とレンズ豆の煮込み」に始まり、リ・ド・ヴォーのサラダ仕立て、鴨のアピシウス風、子羊のロティ、グリーンペッパーと鴨のパテ、シャンパンで蒸した生牡蠣、オッソ・イラティ(ブルビ)と黒いさくらんぼのジャム・・・・と、書いているだけでお腹が鳴りそう。
高級フレンチではなくビストロだから、くだけたシェフオリジナルなものも多く、応用を効かせたメニューもいろいろと出てくる。体調が悪いお客に「大麦と帆立のスープ生姜風味」とか、外食続きで胃が疲れたという客にピペラード(バスクの惣菜)とか。
そして、ほぼ毎回最後に登場するのが、ヴァン・ショー。三舟シェフのそれは赤ワインをお湯で割り、オレンジの輪切りとグローブ、シナモンを加える。このホットワインが乱れた客の心を落ち着かせるのだった・・・。
7つのストーリーの中で一番印象深かったのは、「ロニョン・ド・ヴォーの決意」。
というのも、この話に登場する超偏食の粕屋氏そっくりのお客を知っていて、その人物を思い浮かべながら読んだので。しかも、連れているのが微妙な関係の女性というのも同じ(笑)。
偏食の客というのは度が過ぎると飲食店泣かせの存在だ。決まったメニューしか出さない店ならまだしも、応用を利かせる店だと振り回されることになる。偏食者にも「謙虚な偏食」と「横暴な偏食」の2種類があって、後者は応用の利く店に好んでやってくる。私の知っている偏食の常連客も、しょっちゅう食べるような店ではないのに週に3日4日来店したのは、わがままがきくからだったのだろう。おまかせがメインなので注文を取るのにまず一苦労。嫌いなものはカテゴリ単位(魚とか野菜とか)、何がダメかより何が食べられるか聞いた方が早い。それでも出されてからアウトなことも毎度、料理が泣いていた。また、同じものばかり食べるから食材の調整が大変。事前に予約が入れば粕屋氏スペシャルのような特別の仕込をし、突然の来店ともなると10人の客が一気に来店したほどてんてこ舞いだった−−−。
パ・マルでも、粕屋氏から予約を受けて後悔先に立たず、作戦会議が開かれるが、ただ一人、ソムリエの金子ゆきにとっては「待ち人」だという。なぜなら・・・
粕屋氏はいつもワインをボトルで注文し、飲み残すから(笑)。
ソムリエにとって余った高級ワインは、趣味と実用(勉強)を兼ねる。
この日粕屋氏に薦めたのは、ドメーヌ・ルロワ2000年もの。金子ちゃん作戦成功。
そんな粕屋氏がいつも連れてくる女性は、彼の秘書であり愛人である。
この愛人が、シェフのロニョンは丁寧に下処理してあっておいしい、彼の妻の手料理は下ごしらえを手抜き(血抜きされていない生臭いレバー、水に晒されていない辛い玉ねぎ、ぬめりをとらず味がしみていない里芋)しているから愛情がない、と言う。
それに対して三舟シェフは、(
※以下、ネタに触れます)
「わたしの料理は、ただ、おいしく食べてもらうことだけを考えている。もちろん、それで人を喜ばせたいと思っているわけだし、自分でもその方針を変えるつもりはない。だが・・・・・・」と前置きした後、
「知っていますか、レバーの栄養素は血抜きをすれば流れ出てしまう。もちろん、すべてが流れ出るわけではないし、おいしく食べるためには血抜きをするものだけれど、粕屋氏の偏食は尋常ではない。せめて食べられる食材からは、豊富に栄養分を摂取してほしいと奥さんは考えたかもしれない。玉葱だって、水に晒せば栄養分は抜ける。里芋のぬめりだって、そうだ。洗って流せば、味はよく染みるが、その分、せっかくの栄養分を洗い流すことになる。」
「人は楽しむためにも食べるが、生きるためにも食べる。粕屋さんの奥さんが作る料理は、ただ楽しませるためだけではなく、もっと大切なもののために作られているのではないですか?」
そう、そうなのだ!
苦かったり辛かったりは、手抜きではないのだ。
・・・・と、言い訳にも使えるな。
ところで、「理不尽な酔っぱらい」に登場する酔っぱらい○○○(
以下ネタバレあり)。
かなり前にジェイミー・オリバーが雑誌で紹介していて試したことがある。
スイカに漏斗を差し込んで少しずつウォッカを注ぐ作業は、食べさせる人の驚く顔が見たい一心でやる地味で根気がいる作業で(数日掛かる)、そういう意味では「理不尽な〜」のようなネチネチした復讐にもピッタリだったわけだ。
でもやっぱり、ウォーターメロン・ウォッカは陽気な方が似合う。
パーティにもってこいなので、ぜひ!(ただし、子供には食べさせないように)

「アメリカの友人が作っているのをみたときは、おもしろくて驚いたね。学生時代にこの作り方を知っていたらよかったのに。みんなをメチャメチャ酔わせることができたのに!」 byジェイミー
スイカとウォッカの相性は立証されたことだし、スイカ1個も食べきれないので、その後は安直にスイカにウォッカをジャブジャブ掛けたり小玉スイカでやってみたり。(メロンを真っ二つに切って、穴にラム酒をドボドボも好き)
パ・マルご近所の甘味屋「はぎのや」の「梅酒スイカ入りみつ豆」も惹かれる。
- 2008/03/05(水)
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