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ノーカントリー

ノーカントリー。"No Country For Old Men"が縮まり、なんのこっちゃな邦題。
カート・ヴォネガットの「国のない男」"A Man without a Country" がなんとなく脳裏をよぎったが、 老人が母国の現状を嘆いている点でそう遠くもないか。

ノーカントリーのポスター
真ん中だけど助演(笑)。持って行き方によって誰が主役になってもおかしくない。

舞台はベトナム戦争(1959-1975)から5年後の1980年(最後に某人物の墓石に刻まれた没年がこれ)。麻薬密売の大金を横領した男とそれを追う殺し屋、さらにそれを追う保安官という筋書きに、三つ巴の戦い、しかも比重は後者二人にあるとばかり思っていた。予想外だったのは、ネコババ男も異常にタフだったこと。
モスがベトナム戦争帰還兵であったことから、数々の危機を逃れ、後半は水を得た魚のごとく反撃に出る。彼が求めていたのは大金(安泰)というより、むしろ危険(刺激)そのものだったのではないかと思わずにいられない。一方殺し屋もベトナム戦争体験者と思われ、かくして戦争後遺症患者同士の壮絶な死闘が繰り広げられる。
奇しくも同じ境遇に陥る二人。特殊訓練を受けている者ならではの同じ行動が笑える。二人の対比も面白いが、遭遇する若者たちの対比もまた面白い。

モス役のジョシュ・ブローリンは先日観た『アメリカン・ギャングスター』で金をたかる姑息な警官を演じていて、今回も取るに足らないチンケな男ぐらいに思っていたら、意外にも応援したくなるタイプ。ギャング同士の抗争で一人生き残った虫の息の男にとどめを刺すのではなく(そう思った)、家から水を持ってきてあげるといった人情味も見せ、その妻カーラ(ケリー・マクドナルド)も好感が持てる。思いがけないシガーとの互角の戦いに、いつの間にか彼の立ち位置が主役級に置き換わっており、奇跡の生還に一筋の希望の光まで見てしまう。(しかしその期待通りにもっていけば、これまでのハリウッド映画のどれかと同じなっていたともいえる)

そんな濃ゆい二人であるが、本作の主人公は老保安官ベル。それがトミーリー様とくれば、執拗な追跡劇をつい想像してしまうが、ベルには「逃亡者」「追跡者」のような執念はない。「この国は人に厳しい」と、宇宙人ジョーンズさながらコーヒー片手に世を嘆くばかり。ようやく、邦題から消されてしまった"Old Men"に思い至る。

ノーカントリー
珍しく愛想笑いの瞬間 (直後、プシュッ!)

映画は、殺し屋のアントン・シガーがいきなり逮捕されるところから始まる。たいした罪ではないのだろう、警察官に緊張感はない。彼はボンベを持った変な男でしかなく、それが住居侵入や殺人のマルチアイテムだということを知らない。保安官ベルも現場検証で武器を特定できず、首を傾げる。(この映画以降、ボンベ所持者は職務質問必至だな)

プロの殺し屋たるもの表立って派手な動きをしないものだが、シガーは違う。車が必要ならその都度調達(強奪)、万引きするならボヤ騒ぎと、痕跡残しまくり。ターゲット以外も簡単に殺し、依頼人にすら手を掛け、制御不能で暴走し始めた殺人マシーンのごとし。(それで仕事の依頼が来るのかが謎。自分で仕事を取るコミュニケーション力は無さそう)
一度指令がインプットされれば、完了するまで止まらない。快楽を感じるでもなく淡々と殺人をこなしていく様子は、ターミネーターや『バトルロワイヤル』の桐山(脳障害で感情が欠損)を見ているようで、嫌悪感すら沸かない(怖可笑しい)。
ただ、彼なりのルールが存在するゆえ、無差別殺人鬼と違って次の手が予測不可能なだけに終始固唾を飲まずにはいられない。

ノーカントリー
店主を値踏みする目つきがたまらない

GS店に立ち寄ったシガーは、世間話を投げ掛けてきた店主に、唐突に彼の生い立ちや人生に満足してるかを問い、「おまえがこれまでのコイントスで失った一番大きなものは何だ」と訊ねる。質問の真意が分からない店主からの質問は一切許さず、唐突に「表か裏か。賭けろ」(”Heads or tails? Call it”)と迫る。会話は一方通行、これぞディスコミュニケーション。状況が呑み込めない店主は、シガーがカウンターに置いた菓子の包み紙が生き物のように動く様(シュールだ)をじっと見つめて思案に暮れる。シガーの気迫に気圧され、とうとう店主は「買ったら何がもらえるか」と話に乗じると、返った答えが、"Everything." (全てだ)。

つまり負ければ、Everythingがナッシングなわけで(汗)。
しかし店主はそんな不条理な真意にまで気付いた様子はないし、気付けば賭けられるはずもなく。一方観客は、これが生死を賭けたものだと明示されたわけでもないのに当然そうであると了解して、固唾を呑んで見守る。結果的にシガーからラッキーコインだから大事にとっておけと言われるが、頭の変な客にもらったコインとしていつしかレジに投入されることだろう。(このコインを持っているラッキーな人がほぼ1/2の確率でいらっしゃるわけだ)

この命懸けのコイントスは後にも登場する。殺しを決めかねる時(特に必要性が無い時)にコイン任せにするのが彼のルール。使われるコインが、シガーがあえて店主に語ったように22年前の1958年製、つまりベトナム戦争が始まる直前のものであることからも、シガーの作り上げたルールが戦争体験による死生観に関係しているのではないだろうか。戦争こそ一寸先が裏か表か分からないのだから。

ノーカントリー

シガーのユーモアの無さが観ている方にはユーモアとして映る。無表情のままモーテルの部屋の前で受信機音に合わせて車を微調整する生真面目な仕草が妙に可笑しい。それに極度の潔癖症。殺し屋だけど靴底の血や返り血は嫌、重傷を負ってもカーペットを汚さないようシート張りするマメさ。道中で見せる傍若無人ぶりと神経質さのアンバランスがステキ。
融通がきかず、必要性より必然性。自ら作ったルールは自らの意志で持っても変えられない(強迫性障害か)。コイントスだけが殺人を止める自分なりの理由付けになり得るのだ。「自分の意志で決めるのよ」と、モス妻カーラに痛いところを突かれるが、そう簡単に変えられるものでもない。

そんな運命決定論者も、当然ながら運命には逆らえないという皮肉。
ベトナム戦争と暗殺者の危機から逃れ瀕死の状態から蘇ったモスの末路も然り。
凄腕の暗殺者が偶発的な事故に遭わないとは限らない。
突然の悲劇は殺される側だけでなく殺す側にも平等に訪れる。
(ラブコメの主人公だって無敵のヒーローだって交通事故に遭うときは遭うのだ)
ただ、バックミラーでシガーがチラ見する自転車の少年たちに、欄干の鳥を重ね合わせてしまったが、一体あの熱い視線はなんだったのだろう・・・。もしや、少年愛?

日常に潜む暴力とシニカルなブラックユーモアの組み合わせといえばクローネンバーグ。不穏な空気がたちこめる一触即発の緊張感と脱力感は『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に似ているが、あちらが画面いっぱいに充満する悪に不快感を伴うのに対して、『ノーカントリー』(コーエン兄弟の作品全て)はどこまでも無機的。クローネンバーグの描く血(ほとんど肉片)は生暖かく、コーエン兄弟の血はドライな感じ。
コーエン兄弟は今作でアカデミー賞監督賞を受賞したが、主要部門は功績が重要視されがちだから(前年のスコセッシなんか特に)、製作順序によってどの作品で獲っていてもおかしくない。個人的には『赤ちゃん泥棒』が傑作だと思うけれど(笑)

『海を飛ぶ夢』での回想シーンで、髪型でこうも変わるのかと驚かせられたハビエル・バルデム、今回も髪型の重要性を切実に体現してくれた。今回は珍しく趣味いいと思わせたペネロペ姐さん(ひょっとして、あげまん?)、アントンシガー☆コスプレ三昧なのが羨ましすぎ。 

ジョシュ・ブローリン、ケリー・マクドナルド、ハビエル・バルデム
涎モノの両手に漢!
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