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乳と卵

単行本の装丁に惹かれながらも、いつものように文藝春秋で。

文藝春秋 2008年 03月号 [雑誌]乳と卵乳と卵
川上 未映子

先入観が邪魔になるので選評は後回し、
後からの楽しみに。
今回は受賞者インタビューだけでも面白い。

芥川賞受賞直後の週刊文春2008.1.31号に早速インタビュー記事が掲載されていて、笑ったのが「ダ・ヴィンチ」編集長の

「いきなり『未映子と申します。一度お会いください。お昼ごはん食べましょう』と電話が来て、びっくりして腰が引けた。アブない人かと思ったので、『昼は食べない主義なんです』と一度電話を切りました」


このエピソードは今回の文藝春秋のインタビューにも引用されていた。その文藝春秋の巻頭の受賞者インタビューのタイトルが、「家に本が一冊もなかった」。それが今や芥川賞作家!というインパクト効果を狙ってのものだろう。北新地のホステス時代の話(毎月1日に紅白饅頭や蘭の花を持ってお客さんまわり、弟の大学の学費を出すため・・・)、本屋や歯科助手のアルバイト経験など。歯や髪に興味があって顕微鏡で観察していたとのことで、あの『わたくし率イン歯ー、または世界』の歯フェチ女は意外に身近なところに(笑)。なるほど『先端で、さすわさされるわそらええわ』にも髪の毛の話があった。

そして『乳と卵』にもちらりと髪のことが出てくる。
銭湯帰りに「わたし」こと夏ちゃんが無意識に髪を触るのを巻子が指摘するシーン。夏ちゃん(おそらく夏子)は、心の中ではあらゆる突っ込みを入れつつも二人の母娘をそっと見守る黒子的役割で、強烈な巻子に対し控えめな感じだが、ここでのみ夏ちゃん主体として描写される。

「ガタガタのくせのあるこの一本を指先で調べて、抜いて触るのが好きで」

話の流れとは全く関係ないくだりだが(笑)、これを読んで、あぁ私と同じだ、と。
夏ちゃん、というか著者自身に親近感が倍増してしまった。
想像するに、未映子女史がカツラを愛用していたことからも、彼女自身が一筋縄ではいかない髪質なんではなかろうか。ガタガタの髪を一本一本調べる癖があるのでは。(私はこの確認作業が日課となっている)

『乳と卵』の登場人物は、わたし(夏っちゃん)、姉の巻子、その娘の緑子。
今回も登場人物の職業がホステスと著者の職務経験とダブりつつも、巻子の勤め先は高級クラブではなく安っぽいスナック。女手一つで育てている娘の緑子は、ここしばらく言葉を話さずペン書きで会話をしている。その母娘が数日間大阪から東京の「わたし」の家に泊りにやってくる。巻子の豊胸手術の下見のために。上京した時の巻子のスナックのようなチープさがリアルで切ない(脱いだらもっと切ない)。

題名の『乳と卵』の「乳」は、巻子の豊胸手術から派生する銭湯での乳観察や乳論議など一貫して登場するキーワードであり、緑子の苦悩の元でもある。また「卵」は卵子であり、これもまた緑子の出生や大人への漠然とした不安に絡めつつ、ラストで言葉の代わりに使われる鶏の卵にも掛けられている。

夏ちゃんが緑子と辞書でいろんな言葉を調べるシーン。
心のもやもやを言葉で表現できない緑子がはっとして、ペンで語る。

<もしかして、言葉って、じしょでこうやって調べてったら、じしょん中をえんえんにぐるぐるするんちゃうの> (中略)
<ぜんぶ入ってることやの?イミが?> (中略)
<じゃ、言葉のなかには、言葉でせつめいできひんもんは、ないの>


心で思うこととそれを言葉で伝えることには深い溝がある。でも言葉にしなければ伝わらない。溢れる思いがあればあるほど、言葉が追いつかない。
自分を産んで胸がしぼんでしまった母が今さら豊胸手術するという、母の苦しみに何もしてあげられないもどかしさと、そこまでして胸を大きくしたい女というものが理解できない緑子。
言葉を話さなくなった娘からちゃんとした理由を問えずにいる巻子。
その二人の架け橋となるような言葉がみつからない「わたし」。

ああ、巻子も緑子もいま現在、言葉が足りん、ほいでこれをここで見ているわたしにも言葉が足りん

言葉が出てきんでもどかしい時、その言葉にならぬ感情が溢れると人間は体が動く。そこに卵があったなら・・・・・というラスト。ようやく排卵・・・じゃないや産卵して苦しみから開放された感じ。いろいろ問題を抱えているけどこの家族は大丈夫、根底にはたくさんの愛が溢れている。

暗くなりがちなテーマながら文章は軽快で笑える箇所もいくつか。いつもの○○部という言い回しや徐々に言葉を短縮してビートアップしていくテンポは彼女ならでは。豊胸手術について不自然になりがちな点を延々語る巻子に、「わたし」がはぁと頷きながら心の中で突っ込む、

ばれる、ばれない、誰に。

って確かに(笑)
そのまま、過去にこれと似た会話をたどって「わたし」の回想に突入。
胸を大きくしたいという女子と、それは男のためだと批判する女子の言葉のバトル。ああ言えばこう言うで男根精神に魔よけ説まで登場(笑)。文章も畳み掛け、胸大きく女子→胸派女子、胸女子、冷っと女子→冷り女子、と省略化でスピードに拍車をかける。自分の価値観を押し付ける冷っと女子、少なくとも彼女は胸にコンプレックスはなく、他人の事情や心情を慮る想像力もない。胸大きく女子の”化粧”で形勢逆転、やけっぱちの逃げ切り勝ちに思わず拍手。

最後に楽しみに取っておいた選評を。
「饒舌に語りながら無駄口は叩いていない」と評した山田詠美と「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは、私には不快でただ聞き苦しい」と評した石原慎太郎。
やはり石原慎太郎は受け付けなかったか(笑)。もはや風物詩化してしまった感。

どこででもあり得る豊胸手術をわざわざ東京までうけにくる女にとっての、乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。前回の作品の主題の歯と同じだ。(中略)この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。

どこでもあり得ないということをあれだけ巻子が説明しとったやんけ(笑)。
乳房のメタファって、そんな冷っと女子みたいな。
新東京銀行設立時も、「将来慙愧することはあり得まい」と思ってたんだろうなぁ。
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