たなおろス。

妄想癖・脱線症と戦いながら、映画や本、世事について、思ったことを 棚卸し(たなおろし)するブログ。

坂東眞砂子バッシングについて

8/8のブログで、日経新聞夕刊のプロムナードというエッセイ欄について書いた。
直木賞作家、絲山秋子さんの水曜のエッセイがいつも楽しみだったが、6月で終わってしまった云々、という内容だったのだが、最近、この「プロムナード」が世間の注目を集めている。

プロムナードは曜日毎に筆者が変わるエッセイで、半年毎の担当らしく、7月から作家メンバーが総入れ替えとなった。そして、その金曜日を担当しているのが、今、ちょっとした物議を醸している坂東眞砂子氏(直木賞作家)である。
物議の発端は、8月18日(金)のエッセイで、題名が「子猫殺し」、内容もまさに坂東女史が生まれたての子猫を殺しているという衝撃的な(少なくとも全国紙の新聞に掲載されるという点で)ものであった。

さらには、それ以前のエッセイにも子犬殺し(この時は「始末」という表現を使っていた)についても書いており、波紋に波紋をよんでいる。日経の夕刊という微妙な媒体であるのだが、この波紋に一石投じているのが、どうやら「きっこの日記」のようだ。

そして、本日8/24の日経夕刊の社会面に、とうとう

「坂東氏エッセーに抗議 子猫殺し告白 本社に600件」

という記事が掲載された(本人のコメント付き)。
記事によると、例のエッセイ掲載後、インターネット上で大きな議論を呼び、24日正午までに日経本社に電話やメールでの抗議が約600件寄せられているとのこと。
日経新聞の見解は以下の通り。

日本経済新聞社は「坂東氏の文学的業績などを評価し、執筆をお願いした。個々の原稿の内容については、原則として、筆者の自主性を尊重しています。さまざまなご意見は真摯に受けとめています」(編集局)としている。


日経側も原稿を受け取ったときは、さすがにヤバイと思ったに違いない。しかし相手は作家大先生。原稿の書き直しなんて言い出せないだろうし、新聞に穴を開けるわけにもいかなかったのだろう。で、結果、苦情対応に追われる破目になる。
この600件という数字、実際に日経夕刊を手にしていない人が相当含まれているに違いない。なんといっても、日本最大級のブログ「きっこの日記」で再三取り上げれられた影響は大きいだろう。
ちなみに7月14日の坂東氏のエッセイでは、「肉と獣の距離」 という題で、少し抜粋してみると

(省略)自分の手を汚して生きている牛や馬や豚を殺すことができないのに、売られている肉を買って、舌鼓を打つことに矛盾を感じているのだと。私は鶏は殺すことができる。(〜どうやって殺すかについての描写〜)
そんな経過を踏んで食べる鶏肉は貴重であり、生き物を食べているのだということを実感する。つまるところ、人は、自分が殺せる範囲の生き物を食べるべきではないか、と思い至った。その生き物を殺す仕事は他者に預け、殺しにまつわる精神的葛藤をぴょんと飛びこして、店で売られている肉を、まるでこの世に突然、現れた食べ物であるかのように口にするのは、どこか間違っている。(省略)そんなわけで、このところ、食べる肉は、鳥や魚の範囲内にしている。(省略)


この「肉と獣の距離」というエッセイを読んだとき、私自身、同じことを思うことはあるものの、かといって菜食主義でもない自分に時々矛盾と偽善も感じたりしていたので、坂東氏に自分には無い潔さや逞しさを感じた。これは彼女自身のスタンスであろうから、全ての人に「自分が殺せる範囲の生き物を食べるべきではない」と言ってしまうのは無理があるし、そこまで彼女は言っていない(言外には批判が見えるが)。自分の手でやるかどうかは物理的な問題も含めて難しいとしても、知っておくことは大事だ。食肉解体業に顔をしかめるくせに焼肉食べ放題で食べ散らかしたり、多くの競走馬が食肉用として処分されていることを知らずに競馬を楽しんだり・・・・、私たちが現実から目を背けすぎてているのは事実。

個人的には、避妊や去勢と生まれた子猫を殺すのでは、意味合いが違うとは思う。私の両親は動物ボランティアをしているが、捨て猫などの予防接種や手術、里親探しをしながら、避妊や去勢手術に関しては葛藤もあるようだ。それでも、この世に生を受けた後で処分されるなんてことは、できる限り食い止めたいとあれこれ取り組んでいる(野生の熊なども)。動物と人間の共存、野生とペットの境界、動物園・・・一筋縄ではいかない問題である。

毎日、多くの犬猫が保健所で処分されている。
ペットを平気で捨てる人は、直接手を下さなくても、他人に殺しを委ねているも同然であり、罪の意識が無い分、坂東氏より非情ともいえる。
「肉と獣の距離」のエッセイ中にある 「生き物を殺す仕事は他者に預け、殺しにまつわる精神的葛藤をぴょんと飛びこし」という箇所は、家畜について書かれているのだが、そのままペットにも当てはめることができる。
以前、両親が言っていたが、突然電話を掛けてきて 「外に捨て猫がいるので取りに来てもらえないか」 と言う人が後を絶たないらしい。「里親探しはしていますが、動物を皆預かれるわけではないんですよ。」(時間と場所とお金があればそうしたいのは山々)と言うと、「なんで?」「ひどい!」とか言う人が本当にいるらしい。私が実家に帰る間だけでも必ず捨て猫情報が入って奔走している。私はその短い間子猫を可愛がるだけだが、目の見えない猫や足の不自由な猫の場合一生面倒を見る覚悟で携わっている両親の精神的負担は相当だろうと思う。
また、野良猫の世話をしているのを遠巻きで顔をしかめ、抗議の電話を掛けてくる人もいる。「私たちは好きでエサをやっているわけではなく、この猫たちは避妊手術もしているんですよ。」と説明すると、ピタリと止むらしい。エサを与える=無責任に可愛がっているだけ、という社会概念ができあがっている。そこに実費で避妊手術しているということで気が済むらしい。では野良猫はみんな野垂れ死にしろ、臭いから保健所で処分しろと?でも自分では決して保健所に連れて行かない?
アレルギーとか糞尿や鳴き声の問題はあるだろう。でも根っこの部分で動物の好き嫌いが大きいと思うし、嫌いなのは仕方が無い。ただ、迷惑だと訴えるのであれば、その犬猫たちの末路までちゃんと考えてのことなのかどうか。それでも処分しろ、猫なんか知ったこっちゃ無い、という人はそれはそれでよろし。生を受けた限りなんとか共存してあげたいけれど、人それぞれだから。

この度の、坂東眞砂子バッシングに、こういう(偽善的な)人たちも含まれているように思えてならない。
・・・と、なんだかんだ言いつつ、あんなに愛らしい犬猫の赤ちゃんを崖から落とすことが、ただただ不思議でしょうがないというのが一番の感想なんだけどれども。

それにしても、坂東眞砂子氏の今回の騒動は、不買運動どころか、彼女のホラー小説の宣伝となり売上に貢献するのではないだろうか(まさか戦略?)。

  1. 2006/08/24(木)
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